カナザワ映画祭2017「期待の新人監督」自身による作品紹介『WALK IN THE ROOM』
- 2017/07/01
- 10:20
『WALK IN THE ROOM』の下社敦郎監督からです。
【あらすじ】
「×月×日。このあいだ、新宿を歩いていた時、寺山修司とすれ違ったような気がした……」

東京郊外の工場で働く立夫は、数年前に恋人を亡くしたショックで声を失う。そんな失意のなか、立夫は同僚、路上ミュージシャン、同郷の友人、電波を受信する男などさまざまな人々と出会い、すれ違ってゆく。

レコードに刻まれた音楽、北園克衛の詩、彷徨える幽霊といった死者たちの面影。そして立夫の書きしるす日記の断片から、かけがえのない日常が浮かび上がる。都市の喧騒に容赦ない時間の流れ。そのなかでとり残されたものたちの、喪失と再生の物語。

【キャスト、スタッフ】
出演:高崎風太、鈴木英生、枝元深佳、今野友裕、石指拓朗、花山奈津、矢野昌幸、シミズヒデアキ、迫田遼亮
助監督:松本大志 撮影照明:高嶋正人 録音:栗山道太 整音:音 響鎮 美術:鈴木知史 制作:鈴木英生 脚本:櫃地憂魯 音楽・監督:下社敦郎 製作:SALU-PARADISE PRODUCTION
2016/49分/HD/スタンダードサイズ/ステレオ

【コメント】
「冒頭、文学的ナレーションにゴダール的色彩のクレジットが現れ、それに追い討ちをかけるようにジム・ジャームッシュ監督『デッド・マン』の音楽を即興したニール・ヤングの如きノイジーなギターが空気を切り裂く時、これから始まる物語に大いなる期待を寄せたのも束の間、メイン・タイトルに何の残響もなく、尻窄みに消えるギターの音と共に膨らんだ期待も萎んでいった・・・。あとは流行りの長回しにアナログ傾向(寺山修司、ボブ・ディラン、LP、フォーク・ソングetc.)俗っぽさと文学(哲学)的思考と、どこかで仕込まれた「芸術性」を「模倣」しようと背伸びしている。背伸びは若者の特権であるし、確かに「模倣(ミメジス)」から「創造=芸術」は産まれる可能性はあるけれど、「亜流(エピゴーネン)」ではいかんのよ。次回作は「あ」から始めよう。待っている。」佐野和宏(映画監督、俳優)
「くだらなくて、ちょっぴり寂しい。見終わったあと、またすぐに見たくなった。」いまおかしんじ(映画監督)
【予告篇】
【プロダクション・ノート】
撮影が2、3年前でその後、私の怠慢でポスプロが遅れに遅れ、昨年やっと完成した作品なので、脚本準備段階や撮影時のことはあまり覚えていない。撮影前にナーバスになっていた私は、録音の栗山くんに夜中電話してこの映画の裏テーマは東京オリンピック反対だと言った覚えはある。それが本気なのか、画面に反映されているのかは不明だが、<時代>とそれから取り残された<反時代的>な人々を撮りたかったのだと思う。メッセージは特にない。ストーリーは全く違うが昔読んだ山川直人(漫画家のほう)の短編で死んだ作家の本ばかり買い集める男の話があって、それがこの映画の雛型のひとつになっている。それで周りの興味深い人たちや技術のある人たちを呼んで、とても迷惑をかけて撮影をしたら映画らしきものができた。自分にとっては特別な作品になったが、見てもらうとなるととても恥ずかしいし歪な作品だと思う。昨年映画祭で上映したり、知人に配ったりしたら、音楽がどうの芝居の間がどうの言われたので、次は路線を変えてピンク映画が撮りたい。結局この世は男と女のようだ。いつになるかは見当もつかない。気が重い。口下手でシャイだからきっと舞台挨拶でうまく話せないだろうしここに記しておく。
7月15日(土)11:50からの上映です。
【あらすじ】
「×月×日。このあいだ、新宿を歩いていた時、寺山修司とすれ違ったような気がした……」

東京郊外の工場で働く立夫は、数年前に恋人を亡くしたショックで声を失う。そんな失意のなか、立夫は同僚、路上ミュージシャン、同郷の友人、電波を受信する男などさまざまな人々と出会い、すれ違ってゆく。

レコードに刻まれた音楽、北園克衛の詩、彷徨える幽霊といった死者たちの面影。そして立夫の書きしるす日記の断片から、かけがえのない日常が浮かび上がる。都市の喧騒に容赦ない時間の流れ。そのなかでとり残されたものたちの、喪失と再生の物語。

【キャスト、スタッフ】
出演:高崎風太、鈴木英生、枝元深佳、今野友裕、石指拓朗、花山奈津、矢野昌幸、シミズヒデアキ、迫田遼亮
助監督:松本大志 撮影照明:高嶋正人 録音:栗山道太 整音:音 響鎮 美術:鈴木知史 制作:鈴木英生 脚本:櫃地憂魯 音楽・監督:下社敦郎 製作:SALU-PARADISE PRODUCTION
2016/49分/HD/スタンダードサイズ/ステレオ

【コメント】
「冒頭、文学的ナレーションにゴダール的色彩のクレジットが現れ、それに追い討ちをかけるようにジム・ジャームッシュ監督『デッド・マン』の音楽を即興したニール・ヤングの如きノイジーなギターが空気を切り裂く時、これから始まる物語に大いなる期待を寄せたのも束の間、メイン・タイトルに何の残響もなく、尻窄みに消えるギターの音と共に膨らんだ期待も萎んでいった・・・。あとは流行りの長回しにアナログ傾向(寺山修司、ボブ・ディラン、LP、フォーク・ソングetc.)俗っぽさと文学(哲学)的思考と、どこかで仕込まれた「芸術性」を「模倣」しようと背伸びしている。背伸びは若者の特権であるし、確かに「模倣(ミメジス)」から「創造=芸術」は産まれる可能性はあるけれど、「亜流(エピゴーネン)」ではいかんのよ。次回作は「あ」から始めよう。待っている。」佐野和宏(映画監督、俳優)
「くだらなくて、ちょっぴり寂しい。見終わったあと、またすぐに見たくなった。」いまおかしんじ(映画監督)
【予告篇】
【プロダクション・ノート】
撮影が2、3年前でその後、私の怠慢でポスプロが遅れに遅れ、昨年やっと完成した作品なので、脚本準備段階や撮影時のことはあまり覚えていない。撮影前にナーバスになっていた私は、録音の栗山くんに夜中電話してこの映画の裏テーマは東京オリンピック反対だと言った覚えはある。それが本気なのか、画面に反映されているのかは不明だが、<時代>とそれから取り残された<反時代的>な人々を撮りたかったのだと思う。メッセージは特にない。ストーリーは全く違うが昔読んだ山川直人(漫画家のほう)の短編で死んだ作家の本ばかり買い集める男の話があって、それがこの映画の雛型のひとつになっている。それで周りの興味深い人たちや技術のある人たちを呼んで、とても迷惑をかけて撮影をしたら映画らしきものができた。自分にとっては特別な作品になったが、見てもらうとなるととても恥ずかしいし歪な作品だと思う。昨年映画祭で上映したり、知人に配ったりしたら、音楽がどうの芝居の間がどうの言われたので、次は路線を変えてピンク映画が撮りたい。結局この世は男と女のようだ。いつになるかは見当もつかない。気が重い。口下手でシャイだからきっと舞台挨拶でうまく話せないだろうしここに記しておく。
7月15日(土)11:50からの上映です。
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