コメント
KANO
「お前たち、泣いてはならん!」・・・
上映時間帯の都合で、昭島で観ました。都内から遠路駆けつけた甲斐が有ったかどうか・・・満員の観客が「不覚にも泣かされてしまった」三時間でした。
但し、1930年代・大日本帝国時代の「中等学校野球大会」における史実を「台湾側」から描いた作品である点を割引いて鑑賞した方が良いです。
・先ず、時代考証が稚拙で(あくまで日本側からの感想ですが)、細部に緻密さが欠ける為、感情移入に苦労します。例えば、嘉義の練習グラウンドを再訪した、兵隊の軍服と軍靴。将校或いは下士官の設定(?)かもしれませんが、あのブーツは違和感大でした。
・肝心の野球用語も、高校野球ファンには耳障りだったのでは? あの時代、縦に曲がる変化球の呼称は「スライダー」でなく、「ドロップ」でしょう。
・戦前の甲子園球場・・・鉄傘設置前だったとしても、あのスタンド描写は正確? 札幌商業や中京商業のカラフルな帽子やアンダーシャツも、史実に沿っていないのでは? (私自身、札幌市出身者として)戦前の札幌商業・野球部のユニフォームを凝視しましたが、どう見ても あの「空色の帽子」は虚構と解しました。
・本作が埋もれていた史実(戦前の中等学校野球大会における嘉義農林の準優勝)を発掘した点は大いに評価されます。(同じ理屈で、「1926年大連商業の準優勝」という史実が再評価されるかも)
一方で、「1931年、嘉義農林の甲子園準優勝」の前年に発生した、「霧社事件」(台湾セデック族による抗日蜂起)に本作が全く触れていない点は確かに不自然であり、一部識者からの批判は当然でしょう。その点も含め、台湾人選手たちと、日本人監督・近藤(永瀬正敏)との葛藤・対立・和解・敬服に関するプロセスが描かれず、表面的な解釈に終始した脚本は、踏込み不足だったと云わざるを得ません。
上映時間帯の都合で、昭島で観ました。都内から遠路駆けつけた甲斐が有ったかどうか・・・満員の観客が「不覚にも泣かされてしまった」三時間でした。
但し、1930年代・大日本帝国時代の「中等学校野球大会」における史実を「台湾側」から描いた作品である点を割引いて鑑賞した方が良いです。
・先ず、時代考証が稚拙で(あくまで日本側からの感想ですが)、細部に緻密さが欠ける為、感情移入に苦労します。例えば、嘉義の練習グラウンドを再訪した、兵隊の軍服と軍靴。将校或いは下士官の設定(?)かもしれませんが、あのブーツは違和感大でした。
・肝心の野球用語も、高校野球ファンには耳障りだったのでは? あの時代、縦に曲がる変化球の呼称は「スライダー」でなく、「ドロップ」でしょう。
・戦前の甲子園球場・・・鉄傘設置前だったとしても、あのスタンド描写は正確? 札幌商業や中京商業のカラフルな帽子やアンダーシャツも、史実に沿っていないのでは? (私自身、札幌市出身者として)戦前の札幌商業・野球部のユニフォームを凝視しましたが、どう見ても あの「空色の帽子」は虚構と解しました。
・本作が埋もれていた史実(戦前の中等学校野球大会における嘉義農林の準優勝)を発掘した点は大いに評価されます。(同じ理屈で、「1926年大連商業の準優勝」という史実が再評価されるかも)
一方で、「1931年、嘉義農林の甲子園準優勝」の前年に発生した、「霧社事件」(台湾セデック族による抗日蜂起)に本作が全く触れていない点は確かに不自然であり、一部識者からの批判は当然でしょう。その点も含め、台湾人選手たちと、日本人監督・近藤(永瀬正敏)との葛藤・対立・和解・敬服に関するプロセスが描かれず、表面的な解釈に終始した脚本は、踏込み不足だったと云わざるを得ません。
No title
まあ、細かいディテールは甘いところが多いかもしれませんが、一応外国映画ということで…。
「霧社事件」については本作プロデューサーのウェイ・ダーションが『セデック・バレ』を監督していますし、本作の監督も高砂族なので、何か意図があってのことなのでしょう。
「霧社事件」については本作プロデューサーのウェイ・ダーションが『セデック・バレ』を監督していますし、本作の監督も高砂族なので、何か意図があってのことなのでしょう。
No title
>嘉儀の練習グラウンドを再訪した、兵隊の
錠者投手は、大尉です。
将校なので、ブーツです。
兵隊と将校は、違います。
将校には陸軍士官学校出身者しかなれない、
当時は海軍兵学校と並んで、東大よりも難しかった。
努力家ですね。
史実では彼は大陸に出征、シベリア抑留で亡くなったとあります。
「嘉儀についたら起こしてくれ」は、当時台湾経由で南方に出征した兵士、将校らの口癖だったそうで、
負け戦と分かっている戦いに行く彼らにとって、
嘉儀農林の「あきらめない」姿が自分らと重なったのでしょう。
資料によれば、近藤監督と台湾人(漢人、原住民)の齟齬は全くなかったようです。
一般社会にはあった差別が嘉儀農林にはなかった、原住民でも努力すればヒーローになれるという希望が持てた、それが近藤監督への評価だと思います。
また「再訪」とは、一度訪ねた場所に再度行く、という意味の言葉なので、初めて訪れた人に使うのは、違いますね。
時代考証云々というのであれば、日本女性の日本髪がへんてこでした。着物の選び方も?ですが、それはまあ、ご愛嬌ということで。
錠者投手は、大尉です。
将校なので、ブーツです。
兵隊と将校は、違います。
将校には陸軍士官学校出身者しかなれない、
当時は海軍兵学校と並んで、東大よりも難しかった。
努力家ですね。
史実では彼は大陸に出征、シベリア抑留で亡くなったとあります。
「嘉儀についたら起こしてくれ」は、当時台湾経由で南方に出征した兵士、将校らの口癖だったそうで、
負け戦と分かっている戦いに行く彼らにとって、
嘉儀農林の「あきらめない」姿が自分らと重なったのでしょう。
資料によれば、近藤監督と台湾人(漢人、原住民)の齟齬は全くなかったようです。
一般社会にはあった差別が嘉儀農林にはなかった、原住民でも努力すればヒーローになれるという希望が持てた、それが近藤監督への評価だと思います。
また「再訪」とは、一度訪ねた場所に再度行く、という意味の言葉なので、初めて訪れた人に使うのは、違いますね。
時代考証云々というのであれば、日本女性の日本髪がへんてこでした。着物の選び方も?ですが、それはまあ、ご愛嬌ということで。
No title
> 一方で、「1931年、嘉義農林の甲子園準優勝」の前年に発生した、「霧社事件」(台湾セデック族による抗日蜂起)に本作が全く触れていない点は確かに不自然であり、一部識者からの批判は当然でしょう。
不自然じゃありませんよ。一口に高砂族といっても10以上の部族に分かれており、それぞれ言葉も習俗も違います。また山間部で昔ながらの生活をしている部族と、平地に住んで文明化された部族とでも意識は全く違います。霧社事件は確かに大きな事件ではありましたが、セデック族以外の高砂族や漢人には、なぜ彼らが運動会を襲って日本人の女子供の首を刈ったのか理解できなかったはずです。したがって、これをきっかけに抗日運動が盛り上がったなどということもなく、映画の背景として取り上げなければならないようなものではありません。
> その点も含め、台湾人選手たちと、日本人監督・近藤(永瀬正敏)との葛藤・対立・和解・敬服に関するプロセスが描かれず、表面的な解釈に終始した脚本は、踏込み不足だったと云わざるを得ません。
葛藤や対立があったという具体的なエピソードを知っているならともかく、「よく知らないけど、あったに決まってるじゃないか。」という思い込みで言っているのなら滑稽です。私は当時の台湾人の書いたものをかなり読みましたが、「日本人はおおむね公正だった。」、「みな日本国民という意識があり、民族間の対立などはあまりなかった。」という評価がほとんどです。
不自然じゃありませんよ。一口に高砂族といっても10以上の部族に分かれており、それぞれ言葉も習俗も違います。また山間部で昔ながらの生活をしている部族と、平地に住んで文明化された部族とでも意識は全く違います。霧社事件は確かに大きな事件ではありましたが、セデック族以外の高砂族や漢人には、なぜ彼らが運動会を襲って日本人の女子供の首を刈ったのか理解できなかったはずです。したがって、これをきっかけに抗日運動が盛り上がったなどということもなく、映画の背景として取り上げなければならないようなものではありません。
> その点も含め、台湾人選手たちと、日本人監督・近藤(永瀬正敏)との葛藤・対立・和解・敬服に関するプロセスが描かれず、表面的な解釈に終始した脚本は、踏込み不足だったと云わざるを得ません。
葛藤や対立があったという具体的なエピソードを知っているならともかく、「よく知らないけど、あったに決まってるじゃないか。」という思い込みで言っているのなら滑稽です。私は当時の台湾人の書いたものをかなり読みましたが、「日本人はおおむね公正だった。」、「みな日本国民という意識があり、民族間の対立などはあまりなかった。」という評価がほとんどです。