危うい爆音映画『インターステラー』
- 2014/11/30
- 21:43
色々と話題の作品だが、一切の情報をシャットアウトして鑑賞。
出だしの飛行シーンの爆音に驚く。まさか地元の普通のシネコンで爆音上映を体験できるとは。座席がブルブル震えていた。
しかし、画質はキネコみたいなぼんやりした画でさらに暗くあまり良くなかった。DCPだったと思うけど、プロジェクターの光量が足りなかったのだろうか?

今とそれほど風景が変わらない未来。西暦何年かもよく説明されないが、地球は緩慢な死を迎えているらしい。
何か大きな戦争の後らしく、人々も無気力なようだ。

情報がほとんど提示されない冒頭はシャマラン映画みたいで「ほうほう、それで?」といった気持ちで見れる。
マズイなあと感じてくるのが地球を救うため宇宙へ出発してから。
相対性理論と量子論と愛についてベラベラ話すアン・ハサウェイに「うわあ・・・こいつと何年も同じ宇宙船の中とか地獄だなあ・・・」と感じた辺りで置いて行かれた。
他のお客も同じように感じたのか、ちょうどその辺りで後ろからイビキが聞こえてきた(映画館で映画を見るっていうのはそういう観客の空気を味わえるのも面白い体験だ。『フューリー』は終った途端、エンドタイトルの凝ったタイトルデザインも見ずにそそくさと退出するオッサンたちが大勢いて、「ああ、みんな最後の5人対300人の戦いに呆れたんだなあ」と感じた)。

以降、賢いはずの登場人物たちも行き当たりばったりの行動を始め、泣き言を言い出すようになる。
急に宇宙の最果ての無人の惑星で同僚に襲いかかるマット・ディモンとか、その朴訥フェイスのせいで悪い意味で本物の白痴かキチガイに見えた。

こちらも見ていて、退屈な会話シーンで睡魔に襲われ半覚醒状態→宇宙船の爆音で目覚める→会話で睡魔のループになり、ストーリーの筋もどうでもいい状態に・・・。
また、ブラックホール突入シーンに驚いた。
ジェットコースターじゃないんだから、「うわー」とか叫びながらコクピットが揺れる描写だけでいいのか?
ブラックホールって人間が「うわー」で済むのか?
そしてブラックホールの先には松本人志の『しんぼる』みたいな部屋があるんだが、中途半端にバカみたいなので、シャマラン作品やC級映画、Z級映画みたいな可愛げもない。
アホのくせに利口ぶる奴に対処が困るような感じ。
まあクリストファー・ノーランはアホじゃなくて秀才だろうけど。
しかし、この映画見て、難しいこと語る人はバカなんだろうなあ。もっと色々見て読んだほうがいいと思う。
宇宙の果てには地獄があった『イベント・ホライゾン』の方が好きだな。
『2001年 宇宙の旅』みたいに台詞が少ないわけでもなく、むしろ台詞で説明し過ぎるので、『2001年』みたいな詩的感、悪く言えばハッタリ感もない。
でも、クリストファー・ノーラン作品はいつも予告編はハッタリ感に溢れていて楽しい。
ただ、色んなSFガジェットが良かった。
未来なのにタッチスクリーンではなく(埃っぽいから?)、ThinkPadみたいな無骨なノートパソコン。
機械音ではなく普通に話す四角いロボット。
今と全然変わらない登場人物の服装とか。
それにしても、人類とか神とかの大きな物語を作品にするのは危ういなあ。
一歩踏み間違えると電波系になるもんなあ。
漫画だけど、「AKIRA」や「風の谷のナウシカ」や「寄生獣」、「暗黒神話」、「デビルマン」とか危ない橋をきちっと渡ったんだからスゴい。
どうもこういうのは映画には向いてないんじゃないだろうか?
抽象的な事がすごく苦手というか、写っているものが全てというか。
うーん難しい。
「映画の生体解剖」をまた読みたくなってきた。

出だしの飛行シーンの爆音に驚く。まさか地元の普通のシネコンで爆音上映を体験できるとは。座席がブルブル震えていた。
しかし、画質はキネコみたいなぼんやりした画でさらに暗くあまり良くなかった。DCPだったと思うけど、プロジェクターの光量が足りなかったのだろうか?

今とそれほど風景が変わらない未来。西暦何年かもよく説明されないが、地球は緩慢な死を迎えているらしい。
何か大きな戦争の後らしく、人々も無気力なようだ。

情報がほとんど提示されない冒頭はシャマラン映画みたいで「ほうほう、それで?」といった気持ちで見れる。
マズイなあと感じてくるのが地球を救うため宇宙へ出発してから。
相対性理論と量子論と愛についてベラベラ話すアン・ハサウェイに「うわあ・・・こいつと何年も同じ宇宙船の中とか地獄だなあ・・・」と感じた辺りで置いて行かれた。
他のお客も同じように感じたのか、ちょうどその辺りで後ろからイビキが聞こえてきた(映画館で映画を見るっていうのはそういう観客の空気を味わえるのも面白い体験だ。『フューリー』は終った途端、エンドタイトルの凝ったタイトルデザインも見ずにそそくさと退出するオッサンたちが大勢いて、「ああ、みんな最後の5人対300人の戦いに呆れたんだなあ」と感じた)。

以降、賢いはずの登場人物たちも行き当たりばったりの行動を始め、泣き言を言い出すようになる。
急に宇宙の最果ての無人の惑星で同僚に襲いかかるマット・ディモンとか、その朴訥フェイスのせいで悪い意味で本物の白痴かキチガイに見えた。

こちらも見ていて、退屈な会話シーンで睡魔に襲われ半覚醒状態→宇宙船の爆音で目覚める→会話で睡魔のループになり、ストーリーの筋もどうでもいい状態に・・・。
また、ブラックホール突入シーンに驚いた。
ジェットコースターじゃないんだから、「うわー」とか叫びながらコクピットが揺れる描写だけでいいのか?
ブラックホールって人間が「うわー」で済むのか?
そしてブラックホールの先には松本人志の『しんぼる』みたいな部屋があるんだが、中途半端にバカみたいなので、シャマラン作品やC級映画、Z級映画みたいな可愛げもない。
アホのくせに利口ぶる奴に対処が困るような感じ。
まあクリストファー・ノーランはアホじゃなくて秀才だろうけど。
しかし、この映画見て、難しいこと語る人はバカなんだろうなあ。もっと色々見て読んだほうがいいと思う。
宇宙の果てには地獄があった『イベント・ホライゾン』の方が好きだな。
『2001年 宇宙の旅』みたいに台詞が少ないわけでもなく、むしろ台詞で説明し過ぎるので、『2001年』みたいな詩的感、悪く言えばハッタリ感もない。
でも、クリストファー・ノーラン作品はいつも予告編はハッタリ感に溢れていて楽しい。
ただ、色んなSFガジェットが良かった。
未来なのにタッチスクリーンではなく(埃っぽいから?)、ThinkPadみたいな無骨なノートパソコン。
機械音ではなく普通に話す四角いロボット。
今と全然変わらない登場人物の服装とか。
それにしても、人類とか神とかの大きな物語を作品にするのは危ういなあ。
一歩踏み間違えると電波系になるもんなあ。
漫画だけど、「AKIRA」や「風の谷のナウシカ」や「寄生獣」、「暗黒神話」、「デビルマン」とか危ない橋をきちっと渡ったんだからスゴい。
どうもこういうのは映画には向いてないんじゃないだろうか?
抽象的な事がすごく苦手というか、写っているものが全てというか。
うーん難しい。
「映画の生体解剖」をまた読みたくなってきた。

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