ぼくの彼女は2000歳 『モンスター 変身する美女(Spring)』
- 2015/03/25
- 14:40
ポスターの惹句には「リチャード・リンクレイター+ラヴクラフト」とあるから、淡々とした日常リアリズム描写に怪物が出てくるのかなと思い見たら、その通りだった。というか邦題が…。海外作品の秀作も邦題でC級作品みたいにされてしまう例だな。

主人公のアメリカ青年が傷心旅行に思いつきでイタリアを訪れ、メンヘラっぽいイタリア女子に色目を使われる。そいつはメンヘラどころか怪物だった。



自主映画チックな日常淡々描写が結構苦手で、早くラブクラフトみたいな怪物出てこないかなあと我慢して見続ける。
割りと撮影や照明、録音は素人的でスゴく自主映画。ただ、演技は皆上手だと思う。
イタリアの漁村が舞台なので『ダゴン』的なのかなと思いきや、そういう田舎ホラー的要素はなし。そういえば、本作のspecial thanksにブライアン・ユズナの名前があった。あの『ダゴン』は怪物のスペイン女がとても魅力的だった。こっちのイタリア女はちょっとケバいかなあ。まあどちらもケバいか。ああ、でもこっちのイタリア女のほうが寂しさが足りないな多分。やっぱり寂しげな方がいいよね。


イタリアを舞台にした現代怪物劇といえば、POV手法だった『AFFLICTED アフリクテッド』を思い出す(というか、ロケーションが同じ村のような気が…)。技術的に上手な自主映画だなと思ったが、POVがもう飽きたので違う撮り方をすればいいのになあと感じ、作品的にはイマイチだった。生肉を食べて怪物発作を抑えるなど本作と似たような描写も。

そして、ドーン!と唐突に出てくる怪物。これはかなり出来が良くて成功していた。『ポゼッション』の怪物登場シーンばりの唐突さで意表を突かれる。このシーンがあるのでこの作品は合格だろう。このシーンの前にもゴリラ人間っぽくなったり、吸血鬼っぽくなったりするシーンはチョコチョコ出てきたのだけれど、それらのシーンのクオリティよりも格段に上なので驚いた。

『ポゼッション』の怪物。


とりあえず彼氏が注射を打ってあげて怪物の姿から人間の姿に戻す。その後普通に「で、君は何者?」と会話するのだが、怪物女の説明がベラベラ早くて長くて英語が聞き取れずよく分からなかった…。どうも2000歳でDNAがどうとか、進化がどうとか、超自然現象ではないとか言っていたので、おそらく『アルタード・ステーツ 未知への挑戦』的な先祖返りのアレなのだろう(テキトー)。だから、作品の雰囲気も含めてラヴクラフト的というのとは違う。あっちは人類誕生前の地球に飛来した宇宙からの邪神なので。


『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』の稲生平太郎氏によれば、映画には「手術台」と並び「触手」問題というものがあるらしい。この辺を昨年のカナザワ映画祭で話される予定だったのだけれど、時間切れになりそこまで辿りつけず。いずれ「触手」問題について話してもらえる機会を作りたい。


人類と「触手」は切っても切れない関係だ。そんな我々(おれ?)の本能に訴えかける触手画像。



『アルタード・ステーツ 未知への挑戦』の先祖返り現象。


ポンペイの遺跡に行って、「ここが私の実家で、これが両親よ」と家族に彼氏を会わせてご挨拶。彼女が2000歳なので、彼氏が「やっぱり神様っているの?」と人類共通の疑問を質問するのだけれど、「分からない」と正直に答える彼女。2000年生きても分からないことは分からないらしい。こういうのはなんだかリアルだ。

彼氏がいいヤツでそんな怪物な彼女を受け入れてメデタシメデタシでエンド。

今時、黒沢清監督くらいしか撮らない珍しいスクリーンプロセスでの車内シーン。単に予算がなかったのか、特別な意図があったのか分からないが、淡々日常ビデオ撮りの場面の中で幻想的な異彩を放っていた。

また、やたら空撮が多かったのだが、予算があまりないはずなのにどう撮ったのだろうか? ドローン? 日本の自主映画でも取り入れるべきではないだろうか? 作品がなんとなくカネがかかってそうに見えるようになるではないか。

怪物シーン一発で110分の長尺を引っ張る中々の力作だ。良い映画でした。

予告編
カリコレ2015/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2015で上映予定

主人公のアメリカ青年が傷心旅行に思いつきでイタリアを訪れ、メンヘラっぽいイタリア女子に色目を使われる。そいつはメンヘラどころか怪物だった。



自主映画チックな日常淡々描写が結構苦手で、早くラブクラフトみたいな怪物出てこないかなあと我慢して見続ける。
割りと撮影や照明、録音は素人的でスゴく自主映画。ただ、演技は皆上手だと思う。
イタリアの漁村が舞台なので『ダゴン』的なのかなと思いきや、そういう田舎ホラー的要素はなし。そういえば、本作のspecial thanksにブライアン・ユズナの名前があった。あの『ダゴン』は怪物のスペイン女がとても魅力的だった。こっちのイタリア女はちょっとケバいかなあ。まあどちらもケバいか。ああ、でもこっちのイタリア女のほうが寂しさが足りないな多分。やっぱり寂しげな方がいいよね。


イタリアを舞台にした現代怪物劇といえば、POV手法だった『AFFLICTED アフリクテッド』を思い出す(というか、ロケーションが同じ村のような気が…)。技術的に上手な自主映画だなと思ったが、POVがもう飽きたので違う撮り方をすればいいのになあと感じ、作品的にはイマイチだった。生肉を食べて怪物発作を抑えるなど本作と似たような描写も。

そして、ドーン!と唐突に出てくる怪物。これはかなり出来が良くて成功していた。『ポゼッション』の怪物登場シーンばりの唐突さで意表を突かれる。このシーンがあるのでこの作品は合格だろう。このシーンの前にもゴリラ人間っぽくなったり、吸血鬼っぽくなったりするシーンはチョコチョコ出てきたのだけれど、それらのシーンのクオリティよりも格段に上なので驚いた。

『ポゼッション』の怪物。


とりあえず彼氏が注射を打ってあげて怪物の姿から人間の姿に戻す。その後普通に「で、君は何者?」と会話するのだが、怪物女の説明がベラベラ早くて長くて英語が聞き取れずよく分からなかった…。どうも2000歳でDNAがどうとか、進化がどうとか、超自然現象ではないとか言っていたので、おそらく『アルタード・ステーツ 未知への挑戦』的な先祖返りのアレなのだろう(テキトー)。だから、作品の雰囲気も含めてラヴクラフト的というのとは違う。あっちは人類誕生前の地球に飛来した宇宙からの邪神なので。


『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』の稲生平太郎氏によれば、映画には「手術台」と並び「触手」問題というものがあるらしい。この辺を昨年のカナザワ映画祭で話される予定だったのだけれど、時間切れになりそこまで辿りつけず。いずれ「触手」問題について話してもらえる機会を作りたい。


人類と「触手」は切っても切れない関係だ。そんな我々(おれ?)の本能に訴えかける触手画像。



『アルタード・ステーツ 未知への挑戦』の先祖返り現象。


ポンペイの遺跡に行って、「ここが私の実家で、これが両親よ」と家族に彼氏を会わせてご挨拶。彼女が2000歳なので、彼氏が「やっぱり神様っているの?」と人類共通の疑問を質問するのだけれど、「分からない」と正直に答える彼女。2000年生きても分からないことは分からないらしい。こういうのはなんだかリアルだ。

彼氏がいいヤツでそんな怪物な彼女を受け入れてメデタシメデタシでエンド。

今時、黒沢清監督くらいしか撮らない珍しいスクリーンプロセスでの車内シーン。単に予算がなかったのか、特別な意図があったのか分からないが、淡々日常ビデオ撮りの場面の中で幻想的な異彩を放っていた。

また、やたら空撮が多かったのだが、予算があまりないはずなのにどう撮ったのだろうか? ドローン? 日本の自主映画でも取り入れるべきではないだろうか? 作品がなんとなくカネがかかってそうに見えるようになるではないか。

怪物シーン一発で110分の長尺を引っ張る中々の力作だ。良い映画でした。

予告編
カリコレ2015/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2015で上映予定
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