タイトル長いな 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
- 2015/02/24
- 19:00
スペイン女の脇汗染みのように脂っぽい作品が多く、個人的に苦手なアレハンドロ・イニャリトゥ監督作品。
ほぼ全編をワンカットで通す舞台劇を描いた本作もクドいだろうなと期待せず見た。

マイケル・キートンは落ち目の俳優という設定だが、無知がもたらす予期せぬネット人気で結果的にブレイクするので、あまり悲愴感はない。体を張っても、ネットでさえ全く話題にならないのが本当の悲惨な人間だ。
バットマン→マイケル・キートンでは特に劇中で描かれるようなバードマン→主人公の悲境は立ち上がってこない。
むしろ、誰も思い出さないヴァル・キルマーのバットマンの方が悲惨だ。
タイトルからして長いが、その前に引用まで出てきて、文学作品じゃあるまいしクドい。アルファベットの出方もしつこい。

ストーリーは、ヒーロー物映画で人気者だったが、今は落ち目になっている俳優が、N.Y.の舞台を主宰して返り咲くというもの。ありきたりの舞台の予期せぬハプニングが全てプラスに働き、facebookやtwitterから大ブレイクする。
初っ端から主人公が超能力を使う場面があるのだが、なかなか他人のいる前で使わないのでそれが本当に起きていることなのか何のか分からない。途中で空を飛ぶシーンがあって、飛ぶ瞬間は通行人が全員見ているが、降りてくる瞬間は誰も見ていないので、「ああ、やっぱり妄想か」と思いきや、ラストで空を飛ぶところを娘が見ているカットが出てくるので、「やっぱり飛んだのか」となった。このへんがよく分からない。これがマジック・リアリズム(死語)というやつか、よく知らんが…。

で、予期せぬ舞台上のハプニングがけっこう面白い。その面白さを真面目な主人公自身は理解しておらず、劇場の観客にはウケているのに、本気で落ち込んだりしている。「だから、お前はつまらないんだよ」と映画の人物に突っ込みを入れたくなるが、それよりも映画としてのハプニングもなく隙のないカッチリした真面目映画ばかり撮っているアレハンドロ・イニャリトゥに「だから、お前はつまらないんだよ」と突っ込みたい。まあ、隙のないカッチリした秀才映画を撮っているからアカデミー賞の栄誉にも輝いてリア充になれるのだが…。しかし、真の映画の面白さは隙のなさではない!と断言したい。隙だらけのマイケル・キートンが天然の面白さでブレイクするというストーリーを作っているのだから、その辺はイニャリトゥも分かっているのだろうが、そうしないのはズルい奴だ。ハリウッドで自爆死したオランダ人監督ポール・バーホーベンのハプニングだらけの作品を見て見習ってほしい。いや、反面教師にしたのかも…。
見せ場の映画内ハプニングはこういうのがある。
リアリズムを重んじるエドワート・ノートンが相手役のナオミ・ワッツに舞台上で「ヤラせろ!これがリアリティだ!」と迫る。

未遂に終わるが、エドワート・ノートン勃起中。観客爆笑。おれも笑った。ポール・バーホーベンならここはフルチンにしただろう。

舞台で犯されかけたナオミ・ワッツ号泣。

慰めてくれた共演者の女優と変な雰囲気に(しかし、鏡のシーンが多いのだけれど、ワンカットなのに鏡にカメラが一切映らないのがスゴい。まあ、どうせCGIか何かなんだろうが…)。

レズに目覚める。『マルホランド・ドライブ』以来のレズシーンだろうか?

休憩中に劇場から閉めだされたマイケル・キートン。鍵がかかっていて、裏口から入れないので、正面玄関目指してパンツ一丁でカツラを持ったままN.Y.の表通りを疾走。スマホで撮られまくる。これがフルチンだったら最高だったのに…。カツラで股間を隠して街を走りまくるとか最高じゃないか?


パンツ一丁で劇場内に乱入し、舞台に参加。思わぬ演出に観客大受け。

さらに、最後のハプニングで観客をドン引きさせる(よく知らんが、このことをTV番組で寺島しのぶは言っちゃったのかな?)

と、このように最初は文句を書きまくってしまったが、全く期待をせずに見たので、こうして書いていくと結構楽しめていたことに気付いた…(ナオミ・ワッツのレズシーンも見れたし)。上映時間は二時間くらいだけれど、特に時間は長く感じず。また、最後はアッサリと爽やかに終ったのでその点は良かったかも。ちょっとアラン・パーカーの『バーディ』を思い出した。
なんか結果的に無理して貶したような記事になってしまったな…。イニャリトゥ憎たらしや。
ほぼ全編をワンカットで通す舞台劇を描いた本作もクドいだろうなと期待せず見た。

マイケル・キートンは落ち目の俳優という設定だが、無知がもたらす予期せぬネット人気で結果的にブレイクするので、あまり悲愴感はない。体を張っても、ネットでさえ全く話題にならないのが本当の悲惨な人間だ。
バットマン→マイケル・キートンでは特に劇中で描かれるようなバードマン→主人公の悲境は立ち上がってこない。
むしろ、誰も思い出さないヴァル・キルマーのバットマンの方が悲惨だ。
タイトルからして長いが、その前に引用まで出てきて、文学作品じゃあるまいしクドい。アルファベットの出方もしつこい。

ストーリーは、ヒーロー物映画で人気者だったが、今は落ち目になっている俳優が、N.Y.の舞台を主宰して返り咲くというもの。ありきたりの舞台の予期せぬハプニングが全てプラスに働き、facebookやtwitterから大ブレイクする。
初っ端から主人公が超能力を使う場面があるのだが、なかなか他人のいる前で使わないのでそれが本当に起きていることなのか何のか分からない。途中で空を飛ぶシーンがあって、飛ぶ瞬間は通行人が全員見ているが、降りてくる瞬間は誰も見ていないので、「ああ、やっぱり妄想か」と思いきや、ラストで空を飛ぶところを娘が見ているカットが出てくるので、「やっぱり飛んだのか」となった。このへんがよく分からない。これがマジック・リアリズム(死語)というやつか、よく知らんが…。

で、予期せぬ舞台上のハプニングがけっこう面白い。その面白さを真面目な主人公自身は理解しておらず、劇場の観客にはウケているのに、本気で落ち込んだりしている。「だから、お前はつまらないんだよ」と映画の人物に突っ込みを入れたくなるが、それよりも映画としてのハプニングもなく隙のないカッチリした真面目映画ばかり撮っているアレハンドロ・イニャリトゥに「だから、お前はつまらないんだよ」と突っ込みたい。まあ、隙のないカッチリした秀才映画を撮っているからアカデミー賞の栄誉にも輝いてリア充になれるのだが…。しかし、真の映画の面白さは隙のなさではない!と断言したい。隙だらけのマイケル・キートンが天然の面白さでブレイクするというストーリーを作っているのだから、その辺はイニャリトゥも分かっているのだろうが、そうしないのはズルい奴だ。ハリウッドで自爆死したオランダ人監督ポール・バーホーベンのハプニングだらけの作品を見て見習ってほしい。いや、反面教師にしたのかも…。
見せ場の映画内ハプニングはこういうのがある。
リアリズムを重んじるエドワート・ノートンが相手役のナオミ・ワッツに舞台上で「ヤラせろ!これがリアリティだ!」と迫る。

未遂に終わるが、エドワート・ノートン勃起中。観客爆笑。おれも笑った。ポール・バーホーベンならここはフルチンにしただろう。

舞台で犯されかけたナオミ・ワッツ号泣。

慰めてくれた共演者の女優と変な雰囲気に(しかし、鏡のシーンが多いのだけれど、ワンカットなのに鏡にカメラが一切映らないのがスゴい。まあ、どうせCGIか何かなんだろうが…)。

レズに目覚める。『マルホランド・ドライブ』以来のレズシーンだろうか?

休憩中に劇場から閉めだされたマイケル・キートン。鍵がかかっていて、裏口から入れないので、正面玄関目指してパンツ一丁でカツラを持ったままN.Y.の表通りを疾走。スマホで撮られまくる。これがフルチンだったら最高だったのに…。カツラで股間を隠して街を走りまくるとか最高じゃないか?


パンツ一丁で劇場内に乱入し、舞台に参加。思わぬ演出に観客大受け。

さらに、最後のハプニングで観客をドン引きさせる(よく知らんが、このことをTV番組で寺島しのぶは言っちゃったのかな?)

と、このように最初は文句を書きまくってしまったが、全く期待をせずに見たので、こうして書いていくと結構楽しめていたことに気付いた…(ナオミ・ワッツのレズシーンも見れたし)。上映時間は二時間くらいだけれど、特に時間は長く感じず。また、最後はアッサリと爽やかに終ったのでその点は良かったかも。ちょっとアラン・パーカーの『バーディ』を思い出した。
なんか結果的に無理して貶したような記事になってしまったな…。イニャリトゥ憎たらしや。
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