真面目で陰気なスポーツ映画『フォックスキャッチャー』
- 2015/02/16
- 14:01
実際の事件を映画化したものらしい。

オリンピックでレスリングの金メダルを取ったのにしがない独身貧乏暮らしの弟。
同じく金メダルを取り、金持ちでもないが地元名士で、子どもが二人の家庭を持ち、現状の暮らしに満足している兄。
母親に生涯認めてもらえず(息子より馬が好き)コンプレックスの塊の大富豪がフォックスキャッチャーというレスリングチームを立ち上げ、兄弟のスポンサーとなる。
この三人でストーリーが進む。


小さい頃から親代わりだった兄に、精神的に依存している弟の寒い暮らしの描写が『レスラー』を思い起こさせる。
暗い部屋でジャンクフード。暗い部屋でゲーム(ゲームボーイっぽいが、舞台となる1987年には発売されていなかったので何だろう?)。講演(講演料が20ドルと安い)に行っても兄と名前を間違えられるなど、日々の暮らしで小さく傷つくことが多々。アメリカはオリンピックに興味が無いのか、レスリングという競技がマイナーなのか、金メダリストでもこんな暮らしなのかと驚く。日本ではどうなのだろう?
この弟にある日、大富豪からスポンサーになるとのありがたい申し出が。カネや家やトレーニングには不自由しなくなる。どうもこの大富豪は最初から兄の方をコーチとして欲しかったようだが、兄の方からは「今の暮らしが大事だから」とすげなく断られる。この大富豪の顔がまた死体みたいで気持ち悪い。極度にマザコンで自分に自信がなく、自画自賛ばかりして、周りの人間を死んだ目にさせるのが得意な男だ。でもまあ、カネをくれるので、皆仕方なく付き合っている。

精神的に自立できない不安定な男同士でじゃれ合うなど、弟と大富豪は上手く行っているように見えたが、所詮は繋がりはカネだけ。その内、兄の獲得が大富豪の優先だったと弟にもバレ、関係が険悪に。優勝が目的だった1988年のソウル・オリンピックで弟は敗退。大富豪から弟は去り、兄はチームのコーチとして残る。兄の方は弟と違って、仕事とプライベートはきっちり分けるタイプで、大富豪からの遊びの誘いをキッパリと断るのだった。
それを逆恨みした大富豪は兄を射殺。
完。
というストーリーが無駄なく、ユーモアなく、陰気に真面目に淡々と進む。音楽も演出に合わせた曲が普通に鳴る。映画ってこんな言葉で説明できることだけを異様に分かりやすく撮るだけで良いのだろうか?と疑問が浮かぶ映画だった。全ての描写が説明的で分かりやす過ぎてこちらに何の感想も抱かせない(「映画とは究極のほのめかし」というフレデリック・ワイズマンの言葉を改めて思い出した)。キャラたちも異様に分かりやすく性格分けされている。見ている間は退屈はしないが、二回見たくもならない作品である。なぜか『ブラックスワン』を思い出した。
『ブラックスワン』といえば、ダーレン・アロノフスキーの『レスラー』も異様に真面目な映画で小粒感があったが、本作よりは笑いの要素があり面白かったかも。
『レスラー』と『フォックスキャッチャー』の二本立てを寒いプロレス映画としてどこかで特集してほしいものだ(適当)。
しかし、実話を元にしたと映画と云いながら、見ていて色々と疑問点が多々あった。
映画だと1988年のソウル・オリンピックのすぐ後に大富豪が兄を射殺したように描いているが、実際は8年後の1996年。映画では描かれなかった8年間に、描かれなかった殺害の動機が色々とあったのではないだろうか?
兄の態度に大富豪のプライドが傷付けられる場面は映画ではいくつか出てきたが、さすがにそれだけで射殺という映画の展開は、大富豪を単なる厭なマザコンのキチガイという紋切型なキャラクターにしてしまっている。
また、1987年に総合格闘技の場面が出てくるが、あの時代はバリバリのプロレス時代ではなかったか?
ドキュメンタリー撮影で兄が大富豪への賛辞を嫌々言わされる場面も、実際の兄にその件をインタビューしたわけでもないだろうし、「誰に兄の気持ちを聞いたの?」と疑問だった。
先のゲームボーイの件もそうだし、リアルと評するには少し粗が多すぎるように思える。
何も実話の改変が悪いと言っているわけではない。この作品が増村保造作品やポール・バーホーベン作品のようにデフォルメされ、ギャグも散りばめられた作品だったら、こんなことは気にならなかっただろう。最近の作品では、このように一見リアルなルックを装いながら、作り物染みた作品に騙される人が多いので、なんだかなあと感じている。
この辺の問題は、『ブルー・リベンジ』での記事でも書いたのだが、モヤモヤするなあ…。
過去記事リンク:映画においてのリアル 『ブルー・リベンジ』
ただ、ガチムチ男が絡み合う画は、ホモの人には密かな楽しみを与えるのだろうか? そういう田亀源五郎的な画も出てくる。もしも、そのような隠された要素がこの作品にあるのなら、その部分が唯一面白いと言える部分だろう。



オリンピックでレスリングの金メダルを取ったのにしがない独身貧乏暮らしの弟。
同じく金メダルを取り、金持ちでもないが地元名士で、子どもが二人の家庭を持ち、現状の暮らしに満足している兄。
母親に生涯認めてもらえず(息子より馬が好き)コンプレックスの塊の大富豪がフォックスキャッチャーというレスリングチームを立ち上げ、兄弟のスポンサーとなる。
この三人でストーリーが進む。


小さい頃から親代わりだった兄に、精神的に依存している弟の寒い暮らしの描写が『レスラー』を思い起こさせる。
暗い部屋でジャンクフード。暗い部屋でゲーム(ゲームボーイっぽいが、舞台となる1987年には発売されていなかったので何だろう?)。講演(講演料が20ドルと安い)に行っても兄と名前を間違えられるなど、日々の暮らしで小さく傷つくことが多々。アメリカはオリンピックに興味が無いのか、レスリングという競技がマイナーなのか、金メダリストでもこんな暮らしなのかと驚く。日本ではどうなのだろう?
この弟にある日、大富豪からスポンサーになるとのありがたい申し出が。カネや家やトレーニングには不自由しなくなる。どうもこの大富豪は最初から兄の方をコーチとして欲しかったようだが、兄の方からは「今の暮らしが大事だから」とすげなく断られる。この大富豪の顔がまた死体みたいで気持ち悪い。極度にマザコンで自分に自信がなく、自画自賛ばかりして、周りの人間を死んだ目にさせるのが得意な男だ。でもまあ、カネをくれるので、皆仕方なく付き合っている。

精神的に自立できない不安定な男同士でじゃれ合うなど、弟と大富豪は上手く行っているように見えたが、所詮は繋がりはカネだけ。その内、兄の獲得が大富豪の優先だったと弟にもバレ、関係が険悪に。優勝が目的だった1988年のソウル・オリンピックで弟は敗退。大富豪から弟は去り、兄はチームのコーチとして残る。兄の方は弟と違って、仕事とプライベートはきっちり分けるタイプで、大富豪からの遊びの誘いをキッパリと断るのだった。
それを逆恨みした大富豪は兄を射殺。
完。
というストーリーが無駄なく、ユーモアなく、陰気に真面目に淡々と進む。音楽も演出に合わせた曲が普通に鳴る。映画ってこんな言葉で説明できることだけを異様に分かりやすく撮るだけで良いのだろうか?と疑問が浮かぶ映画だった。全ての描写が説明的で分かりやす過ぎてこちらに何の感想も抱かせない(「映画とは究極のほのめかし」というフレデリック・ワイズマンの言葉を改めて思い出した)。キャラたちも異様に分かりやすく性格分けされている。見ている間は退屈はしないが、二回見たくもならない作品である。なぜか『ブラックスワン』を思い出した。
『ブラックスワン』といえば、ダーレン・アロノフスキーの『レスラー』も異様に真面目な映画で小粒感があったが、本作よりは笑いの要素があり面白かったかも。
『レスラー』と『フォックスキャッチャー』の二本立てを寒いプロレス映画としてどこかで特集してほしいものだ(適当)。
しかし、実話を元にしたと映画と云いながら、見ていて色々と疑問点が多々あった。
映画だと1988年のソウル・オリンピックのすぐ後に大富豪が兄を射殺したように描いているが、実際は8年後の1996年。映画では描かれなかった8年間に、描かれなかった殺害の動機が色々とあったのではないだろうか?
兄の態度に大富豪のプライドが傷付けられる場面は映画ではいくつか出てきたが、さすがにそれだけで射殺という映画の展開は、大富豪を単なる厭なマザコンのキチガイという紋切型なキャラクターにしてしまっている。
また、1987年に総合格闘技の場面が出てくるが、あの時代はバリバリのプロレス時代ではなかったか?
ドキュメンタリー撮影で兄が大富豪への賛辞を嫌々言わされる場面も、実際の兄にその件をインタビューしたわけでもないだろうし、「誰に兄の気持ちを聞いたの?」と疑問だった。
先のゲームボーイの件もそうだし、リアルと評するには少し粗が多すぎるように思える。
何も実話の改変が悪いと言っているわけではない。この作品が増村保造作品やポール・バーホーベン作品のようにデフォルメされ、ギャグも散りばめられた作品だったら、こんなことは気にならなかっただろう。最近の作品では、このように一見リアルなルックを装いながら、作り物染みた作品に騙される人が多いので、なんだかなあと感じている。
この辺の問題は、『ブルー・リベンジ』での記事でも書いたのだが、モヤモヤするなあ…。
過去記事リンク:映画においてのリアル 『ブルー・リベンジ』
ただ、ガチムチ男が絡み合う画は、ホモの人には密かな楽しみを与えるのだろうか? そういう田亀源五郎的な画も出てくる。もしも、そのような隠された要素がこの作品にあるのなら、その部分が唯一面白いと言える部分だろう。


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